「特攻隊員どんな思いで」 小学生ガイド、戦争遺構に思いはせ

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貞松慎二郎
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 大分県内最大の穀倉地帯である宇佐平野はいま、収穫期の「麦秋」。黄金色の麦畑からは想像もつかないが、かつてこの地には宇佐海軍航空隊があり、戦争の遺構が数多く残る。現地で3年ぶりに開催された「宇佐航空隊平和ウォーク」に記者も参加し、平和の尊さをかみしめた。

 宇佐市の市民団体「豊(とよ)の国宇佐市塾」が2005年から主催するイベント。今年は21日にあり、市内外から約150人が参加した。スタート時にあいさつした是永修治市長は、今年に入って市内の柳ケ浦地区で不発弾がみつかり、処理撤去作業をしたことに触れて「いまだに戦後が終わっていないことを実感させられた。平和がいかに大切か学んでいただく機会になれば」と話した。

宇佐海軍航空隊

東西1・2キロ、南北1・3キロの飛行場として1939年10月に開隊。艦上攻撃機・爆撃機の搭乗員を養成する練習航空隊だったが、戦況が悪化すると特攻隊の基地となり、154人の搭乗員が戦死した。米軍による空襲で、航空隊関係者や民間人の多くが命を落とした。航空隊は阿川弘之の小説「雲の墓標」の舞台となった。

 コースは柳ケ浦高校発着の約10キロ。不発弾発見現場のほか、十数カ所の遺構を5時間かけて回った。印象深かったのは地元の小学生ガイド。希望した児童らが学習の成果を発表するのが恒例で、今回は柳ケ浦小、駅館(やっかん)小、四日市北小、八幡(やはた)小の4校から6年生約40人が担当した。

「怖さが伝わるように」

 駅館小の7人は、現在は直線…

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